丈六 戒光寺 . .
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本尊丈六釈迦如来像(重文) 

鎌倉時代の仏師 運慶・湛慶親子の合作。宋風をおびた極彩色の木像・寄木造で重要文化財に指定されています。身の丈は約5.4メートル、台座から後背部を入れると約10メートルにもなり、長い爪や流麗な衣など仏画から抜け出してきたような大仏様です。首の辺りから何か流れている様に見えるのは、血の跡だといわれてます。これは、後水尾天皇が即位争いに巻き込まれ暗殺者に寝首を掻かれた時に、この釈迦如来が身代わりにたたれ、ついたものだといわれています。
この事から、身代わりのお釈迦様と呼ばれるようになり、「悪しき事のお身代わりになって下さる」又、「首から上の病気、のどの病気を治してくださる」と、崇められ、大きな仏様という意味で「丈六さん」と呼ばれ親しまれています。

戒光寺が泉涌寺の山内に移転されたのには
次のような不思議な理由があります。

江戸時代初期第108代後水尾天皇が東宮の時、即位争いが起き、東宮は常に暗殺の影に脅かされていたそうです。とうとうある夜、刺客により暗殺を受けてしまいます。しかし、東宮の代わりに血を流していたのは当山の丈六釈迦如来像であったそうです。東宮はその後無事に即位され、以後も事ある毎にお身代わりに立たれ、歴代天皇の中でも極めて長命な85歳の天寿を全うされ御崩御になられたそうです。このような理由で皇室とかかわりの深い泉涌寺の近くに移転し、萬歳の后迄崇め奉らんと思し召されたそうです。また、奇しくもこの地は開山上人の開創されたもう一つの寺、東林院のすぐ近くでした。

曇照忍律上人坐像→
(重文)

戒光寺開山木像。重要文化財、鎌倉時代、作者不詳。
中国に2度に亙って留学し、1度目の入宋後戒光寺を開創され、2度目の入宋後東林院(泉涌寺門前現東林町の辺り)を開創され、戒律復興の先駆けとなられた大徳です。
10数年前にイギリスで開催された「ジャパンフェスティバル」の芸術品部門に出品。大英博物館に鎌倉期の代表的彫刻として紹介され、帰国後重要文化財に指定されました。

 

不動明王像→

木像。造られた時代・作者共に不明ですが、鎌倉時代より前のものではないかと言われています。
不動明王の像は岩座を踏み締めるのが普通ですが、この像は非常に珍しく、足の裏を見ることが出来るのです。

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本堂内陣の左右の壁にかけられている絵は、お釈迦様が誕生されてからお亡くなりになるまでの間に起こった、不思議な出来事やお話が、一場面・一場面、絵で綴られています。



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