丈六 戒光寺 . .
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本堂・内陣・境内のご案内


「戒光寺御陵衛士墓所」正面左から毛内・伊東・藤堂・服部の墓碑。(石香炉・手水場は明治2年の墓碑建設時に毛内監物の出身・弘前藩から供えられたもの。)

◆御陵衛士の墓所
(元新選組隊士)

戒光寺墓地には御陵衛士伊東甲子太郎以下4名の墓があります。
御陵衛士は戒光寺堪然長老の肝煎りによって組織され、新選組参謀伊東甲子太郎以下15名が脱退参加しましたが、同年11月新選組の威信のために襲われ伊東以下4名が暗殺され、壬生寺に葬られましたが、明治元年に戒光寺に改葬されました。

 
禁裏御陵衛士墓所への
 
御陵衛士の墓所へ参拝したいお気持の方々に、 自由に参拝していただいておりましたが、 一部の不心得者のため、この度立入り禁止の措置を施しました。

親族・学術研究者・関係者の方は
お問合せ下さい。

禁裏御陵衛士忌追善供養之文

◆禁裏御陵衛士忌追善供養之文
 惟時 平成16年11月18日

高台寺党と油小路の変

新選組の中にあって、近藤勇・土方歳三派と伊東甲子太郎・山南敬助派に別れ、のちに幕府が新選組を幕臣に取り立てようとしたので伊東甲子太郎達は勤皇派であった為、別の組織を作ろうとしました。
慶応2年12月25日(1867年1月30日)孝明天皇が崩御し、伊東は朝廷より尊皇大儀のために孝明天皇の御陵を警備するという名目で禁裏御陵衛士を拝命し、高台寺の塔頭月真院に最後の屯所を置いたため、後世、「高台寺党」とも呼ばれました。
しかし慶応3年11月18日(1867年12月13日)伊東は酩酊して帰営中、待ち伏せの新選組隊士数名に襲われ七条油小路にて横死しました。享年32歳でした。
その後、伊東の死を聞いた御陵衛士は騒然となり、七条小路に彼の遺体を引き取りに来ますが、待ち伏せの新選組数十名に包囲され、藤堂平助・服部三郎兵衛・毛内監物の3名が討死しました。


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